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2011  03:09:00

"Self"をリラックスさせる

"Buddha's Brain"の続きです。きょうで最終です。

人が苦しむのは、物事をパーソナルに取ったり、認めてもらいたいという欲望を持つからだといいます。常に「わたし」や「わたしのもの」という意識で過ごすと、自分と他が区別され、孤立して攻撃を受けやすい弱い者という感じがするからです。

他方、「わたし」という枠をゆるめて自然の流れに任せるようにすると、エゴが背景に引っ込んで、平和で満たされた気持ちになります。

そこで、この”Self(我)"とは、何者かということになります。

問題を解くときの熟考するSelfがいたり、気分を害する感情的なSelfがいたり、とする一方で、言葉を介せず、過去や未来の概念がない"Core Self(核の我)"もいると説明されています。興味深いのは、思案するSelfや感情的なSelfを司る部分がダメージを受けても"Core Self"は残るということですが、"Core Self"を管轄している部分がダメージを受けると、すべてのSelfは飛んでしまうらしいのです。ということは、思案するSelfや感情的なSelfは、"Core Self"の基盤がないと成り立たないということになります。

また、今晩は中華にしようかイタリアンにしようか、あるいは、自分はなんて決断力が乏しいのだろうと考えるとき、自分を客観的に捉えるSelfがいます。この認識は瞬時に現れるスナップショットのようなもので、長い年月のあいだに、一綴りにつながって映画のようになります。

他方で、主観的に捉えるSelfは、経験を体験する者としての意識が要素になります。これは概ね自分の体を対象にした意識で、体という媒介を通して体験するということを言っているようです。この認識は、幼児から大人になる過程で、全頭前皮質が発展して形成されます。ところが、この主観的意識の対象は本来備わったものではありません。深い瞑想に入ると、主観的意識の対象がなくても覚醒できることからそれが分かります。

神経学の観点からみると、一つの統合した"Self"を毎日経験しているというのは幻想だと断定しています。どうも、脳が発達していく過程で、下位組織や、そのまた下位組織の中から産まれたもので、何ら決まった中心の部分がなく、さまざまな瞬間の主観的意識の寄せ集めが"Self"なんだと言っているようなのですが。"Self"という感覚は、精神活動の一部に過ぎず、その人全体の一局面に過ぎないという結論を出しています。

実際のところ、通常、"I"が指図しなくても、精神や身体の活動は滞りなく行われ、かえって"Self"の介入がないほどうまくいくというのです。心臓や消化器系が、自然に働くことを言っているのかしらと思います。また、テロにあってそこから無事に脱出した人の話をどこかで聞いたことがあるのですが、一番危ないときに、とにかくそこから脱出することしか頭になく、冷静に行動できたと言います。そのときは感じなかったのに、あとで振り返ってから恐怖を感じたというのが面白いですね。緊急の事態に追い込まれると、"Self"が引っ込んで、何かもっと冷静で確固とした自分が運転席について、迷わずに最善の行動が取れるということなのでしょう。

"Self"というのは偽りの我であり、たとえ一貫し連続しているように見えても、常に変化しています。ニュートラルの気分のときは大人しくしていますが、いったん熱望や執着といった感情、あるいは久しぶりに友人に会ったとかで興奮したりすると、活発になるそうです。それはともかく、この偽りの我を自分だと思わないで、本来の我は、もっと活力があって、もっと能力があって、もっと奥行きのある存在であるということを忘れないようにと呼びかけています。そうすると、自己のイメージって誰もが持っていると思いますが、気に入らないものだったら、どうせ幻想で偽りなんだからと思えば、それを捨てて、もっと好ましいイメージを抱くことがやりやすくなるような気がします。"Self"って衣服みたいなものかもしれないと思いました。古くなったり、似合わないと思えば脱ぎ捨てて新しい衣服に替えればいいのかも。

"Self"の役割は個人を区別しやすくなることで、一人格を認識し、人間関係をカラフルにし、コミットするのに役立ちます。だから"Self"は必要だけど、それに振り回されないようにバランスを取るということなのでしょう。

この世にあるすべてのものはいつかは朽ち果ててしまうので、何かをもって自分と捉えないようにと説いています。「この手は私だろうか?」とか「この思い込みは私だろうか?」といった質問を投げかけてみるとよいと言っています。

"Self"には所有の意識があって、握りこぶしのようなものです。そこで、与えることを実践すると、握りこぶしを開く作用で"Self"を放つことができます。時間やお金、忍耐、許しなどを与えるのが寛容で、その対極にあるのが嫉妬です。嫉妬を感じるときに活性化される神経回路は、肉体的苦痛を感じるときの神経回路とオーバーラップしているそうです。この嫉妬から開放されるには、嫉妬を感じる人に、「ますます成功しますように」というような善念を送ってあげることです。

自分が人より優れているというおごりも"Self"をのさばらせることになるので、謙虚な心を持つことを勧めています。また脅かしやサポートされていないと感じる場合も、"Self"の神経回路が活発になるので、基本的なニーズを満たすようにすることが大切です。十分な愛情を受けずに育つと、ハートにぽっかり穴があいたような感じがして、それを埋めようと威勢をはったり、しがみついたりといった行動に走りがちですが、かえって人を遠ざけるので逆効果です。筆者は自らの経験から、ハートの穴を埋めるには、煉瓦を一つずつ積み重ねていく、つまり、自分の価値やよいところ、達成したこと、人から優しくされたことを故意に意識していくことだと言っています。穴がどんなに大きくても、穴を埋める煉瓦は探せば毎日見つけることができます。どんなに些細なことでも、恵まれていることや他人の親切や思いやりを味わいつくすことだと言っています。

いいアイデアが盛りだくさんなのですが、解釈するのが難しかったです。でもこうしてブログにまとめると、頭の中で整理されて思い出しやすくなり、少しは実践できるかしら。

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