02
2011  10:51:50

Mindfulnessと注意力

"Buddha's Brain"の続きです。

Mindfulnessという言葉はよくスピリチュアルの話で出てくるのですが、日本語にしようとすると難しいです。Wiウィキペディアを見ると、仏教の概念、サティと呼ばれるもので、今という瞬間に完全に注意を集中して自分を客観的によく観察し、「今・ここの自分」に現在進行形で気づいていくこととあります。

本書では、注意をコントロールできること、と定義しています。だから、ある事に意識を向けたいと思ったら、それが自在にできるということですね。そして、一つのことに思念を集中させる、つまり、留意は、スポットライトの役目をして、脳を形成することになります。

脳は、サバイバルのために、入ってくる情報をコントロールしながら、3つのニーズのバランスを取ってきました。そのニーズとは、情報を保持する、アップデイトする、適度な刺激を見つける、というものです。

何かをプロセスするとき、コンピュータのように、まず、ある情報を作業メモリにしばらく保持しておかなければなりません。過去の関連情報も合わせて引き出しておきます。この作業メモリのスペースを保護するのにゲートのようなものがあって、それが閉まっている限り、他の情報が入ってこないで一つのことに集中できるわけです。

作業メモリの内容がほどよい刺激であれば、安定したドーパミンの分泌でゲートは閉じた状態を保ちます。刺激の度合いが低くなると、ドーパミンニューロンの活動が低下してゲートが開き、新しい情報を入れます。危険を感じたり、新しいチャンスが出てきてドーパミンの分泌が急上昇したときも、ゲートが開くそうです。

また、大脳基底核という別の神経系が、刺激調節器のような働きをして、刺激のレベルがしきい値より下がると、もっと刺激を増やせという信号を脳に送るそうです。こうして、退屈な会話で急に挑発的な発言をしてみたり、瞑想中に他の思いに我を忘れるということが起きます。

常に刺激がないと退屈する人や、予測できるような環境で平穏を好む人など、気質によって、上記の働き方は異なってきます。また、文化や人生の経験といったことも注意力に影響を与えます。一般に西欧圏は刺激が多い社会で、脳は日常で過剰ともいえる刺激を処理するように習慣づけられてきました。こうして、"Monkey Mind"が形成されてしまったわけです。Monkey Mindというのは、注意力散漫、反応過激で、ひとところに落ち着いていられないマインドの状態。

だから、よいとか悪いとかではなくて、自分の気質を知ることが大切です。弱点を責めるのではなくて、自分に対して優しくすると、ドーパミンのレベルが上がって安定したマインドの状態が得られやすくなるそうです。

注意力を身につける方法にはいろいろありますが、「意図を定める」ということを第一に挙げています。何かをする前に、意図を確立するいうことです。知っている人で、集中力の素晴らしい人を思い浮かべ、その人になったような感覚を体で感じる。そして、仕事をやっている間、意図を何度も再確立する。電話が鳴るとかトイレに行くとか、日常の何気ない機会をとらえて、落ち着きを取り戻すようにする。ここのところ、"Use routine events as 'temple bells' to return you to a sense of centeredness."となっていますが、"a sense of centeredness"を日本語にするのが難しいですね。中心性、つまり平衡した心の状態で、落ち着きかなと思います。

あと、食事とのき、食べ物がどんな経緯をたどって食卓へ運ばれてきたかに思いをはせる、というのも面白いアドバイスですね。

それから、睡眠を充分に取ること。これは言うまでもないことですね。また、脳は体重の2%しかないのに、全体の20%の酸素を使うということですので、深呼吸を数回して、血液を酸素で満たし、脳への酸素供給を助けてやるとよいそうです。

脳の中で、片方が働いている間、他方が休むという相互関係にある部分があるそうで、いわゆる右脳と左脳も、ある程度、そういう関係にあるそうです。だから、右脳が司る活動に熱中すれば、左脳のおしゃべりは静かになるというわけです。右脳は、視覚的、空間的広がりでとらえることを利用して、体を一つとして全体的にとらえるようにすると、右脳の働きが活発になります。たとえば、呼吸をするとき、お腹や胸、のど、鼻が一体になって呼吸している感覚をとらえる。普段、そんなこと意識していないので、ここのところ、わたしにはちょっと分かりにくいのですが。

愉快なのは、頭の中でおしゃべりが始まったら、優しく「静かになさい」となだめたり、これが終わったらとか、何時になったらとか、アポを取って聞いてあげるように約束するというもの。あるいは、マントラや祈りの言葉など、別の言語活動で脳を占領するようにする。

そして、覚醒した状態を保つ。どういうことかというと、知覚、思考、願望、記憶、感情といった起伏の多いメンタル活動に携わっていても、常に平穏で覚醒した状態を自覚する、ということかしら。う~ん、難しい。たとえば、映画を見ているけど、それにのめり込まない。さまざまな事が起こり、過ぎていっても、そのままにさせる、無理にどうこうしようとしない。すべては、現れたら去っていくと達観するんですね。過去にもとらわれず、未来にもとらわれない。今の一瞬を次の一瞬に結びつけないで、そのまま受け入れる。まあ、こういう境地に入ったら、安定した覚醒状態ということになるので、注意力もかなり研ぎ澄まされているのでしょう。

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