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2011  12:27:00

エゴの計画

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この世界と肉体はエゴが作成したというのがA Course in Miraclesの考え方です。肉体は、マインドを時間と空間の小さなスポットに閉じ込める牢獄のようなものだとも言っています。またエゴは、生まれ落ちたときから常に問題を投げては注意をそらせるのが上手い奇術師だとも。

問題とその解決がいつも自分の外にあるように見えるのもイルージョン(幻想)だそうです。そうすると、問題の責任を他人や物や社会に転嫁しやすくなる、というのがエゴの計画なんです。こうしていつも外に注意を向けるので、自分の思考様式の欠陥が分からなくなる。

無意識に抱えているエゴの本性というのは実は自己嫌悪(self-hatred)で、大抵の人はそれを自分の外に投影して、批判してみたり、憎んだり、攻撃したりという行動に走ってしまう。だから、自分にとってやっかいな人が現れるというのも、本当はそう望んでいて、自分の身代わりにしているのだとパーサが説明しています。

そんなときに、このことを思い出して、精霊に心の転換ができるように助けてもらいます。この辺の考え方というのは、普通の思考と違いますよね。でも、こういう風に捉えると、確かに赦しが容易になるなと思いました。

他に投影して責める自分の誤った見方を否定しないで赦すと、精霊がエゴの恐怖と神からの分離を取り消してくれます。相手を赦すというのは、結局、自分を赦すということになるのだそうです。

エゴは、内に目を向けると罪を発見してしまうから、そうするなと声を大にして言うのですが、本当にエゴが恐れているのは別のとろこにあるそうです。

What if you looked within and saw no sin? This "fearful" question is one the ego never asks. And you who ask it now are threatening the ego's whole defensive system too seriously for it to bother to pretend it is your friend.

内を見てもし罪が見つからなかったら、という問いはエゴの存在を危うくする「恐ろしい」ものだから、そんな問いを発しようものなら、友人づらしていたふりをかなぐり捨てるというのですね。でもそれは恐れるには及ばないとパーサは言っていますが。

何としても罪や恐れが投影された外に目を向けさせて、解答を得ないようにしようとエゴが戦いを挑んでくるけど、その戦いは勝ち目がないので、エゴを相手にせず、精霊に任せなさいということらしいのですが。ヒーローの肩に、悪魔と天使が現れて、それぞれヒーローの説得にかかるといった昔、テレビか何かで見た場面を思い出してしまいました。

他にもエゴの計画の説明があるのですが、ゲリーの言うように、この世界での争いや理不尽なことの説明がつきます。

また赦しに戻りますが、何をすればよいかということになると、これにつきるようなんです。そうすると、エゴの脚本から脱却して、精霊の脚本を選ぶことになり、エゴの脚本に描かれた不必要な役割を演じなくてもよくなるようになる、というんですね。







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