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2011  12:03:00

誰もいない森の中で木が倒れたら…

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前の続きで、猫ちゃんから学べることが他にもあるのに気づきました。

猫ってよくナメナメして毛づくろいしますよね。あれは、気分を落ち着かせる働きもあるそうです。観察していると、ジャンプをしくじったり、怒られたりしたとき、一生懸命、毛づくろいを始めるんですよ。自分に優しくして穏やかな気分に持っていく術を知っているんですね。

わたしたちは、何てドジ!と自分を責めて余計にストレスを溜め込んでしまいがちになると思います。そんなときは、猫を見習って、自分に優しくしようと思いました。

原書:The Disappearance Of The Universe: Straight Talk About Illusions, Past Lives, Religion, Sex, Politics, And The Miracles Of Forgiveness
訳書:新装版 神の使者

それでは"The Disappearance Of The Universe"に戻ります。前回はこちら

アセンディッド・マスターのパーサが面白いことを言っています。悟りの程度は、信じている宗教や哲学や思想に関係なく、その人がどの成長の段階にいるかということだそうです。誰しも4つある段階をすべて通って最終的に神の元に戻るということです。

まず最初の段階が二元性の世界(dualism)で、神が自分と離れてあるとする迷妄の世界です。神は慈悲深いと同時に、いつお怒りになって罰を下すやもしれぬ存在です。戦争など、他を殺すことを神が指示するなどという考えが出てくるのもこの段階。また、原因が分からない悲劇が起こるように見え、それが普通であると捉えます。

次の段階は半二元性の世界(semi-dualism)で、先の二元性の世界に比べると、批判的な態度が弱まり、神に対する恐怖が薄らぎます。ただ、まだ自分を肉体だと捉えており、神が自分の外にあると感じています。しかし、自分が置かれた状況は、神のせいではなく自分に責任があるのではとも感じています。

ここのところを引用すると…

…but now you sense that God is not the cause of your situation. Perhaps the one person who was always there when things appeared to be going down the toilet was you.

"going down the toilet"なんて、アセンディッド・マスターにしてはずいぶんくだけた言い方で、思わずニヤリとしてしまいました。



3番めの段階は非二元性の世界(non-dualism)。「誰もいない森の中で木が倒れたら、音がするだろうか」という問いがありますが、正解は「音がしない」です。木は倒れるとき音の波動を起こしますが、電波と一緒で、受信機がないと何も存在に入りません。だから聞く人がいないと音は存在しないのです。それをつきつめていくと、見る人がいなければ木も存在に入らないし、この世界も存在に入らない。

そしてこの論理でいくと、この世界が存在しなければ、わたしたちもこの世界に存在しないことになります。 このイルージョンの存在を可能にするのは、一元(oneness)を分割するというトリックです。

それでは一元とは、という問いが起こり、大抵は神と答えが返ってくるけど、この世界が現象に現れている形で神に創造されたとする誤りを犯してしまう。そのため、いかにマインド(思考と感情を司るところ)をマスターしても神に到達しません。

マインドは時間、空間を超越し、非二元の論理的な延長ではあるが、神ではない。釈迦はマインドをマスターし、「わたしは今目覚めた」と言ったとき、自分がイルージョンの中にいるのではなく、それを作った張本人だと悟りました。

物理学の方からも説明できます。ニュートンの物理学は、物体があると見て個々の区別をします(二元性)。量子物理学になると、素粒子レベルで変化を起こさないでは観察できないことが分かっています。すべてはマインドにあるということです(非二元性)。そして、このマインドもイルージョンです。







長くなったので、最後の段階は明日アップします。
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