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2019  22:41:29

スピリチュアルの道について|ホーキンズ博士の著から

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引き続きDiscovery of the Presence of God: Devotional Nondualityを見ていきます。

Paradoxically, the way of nonduality is the 'doing' of undoing. There is nonreliance on scripture or external authority. Truth stands revealed on its own without proclamation or need of aggrandizement.
逆説的に言えば、非二元性の道は、これまで行ったことを無効にするという行為をすることです。聖書や外部の権威者に頼ることはないのです。真実は宣言も拡大の必要もなく、それ自身で明らかにされます。

おそらく、宗教や権威者が真実を教えてくれると信じ込まないようにということを言っているのだと思うのですが、どの情報が信用できるものか、どのスピリチュアルの道を取るかを判断するに当たって、以下の4つの点を確認するようにということでした:

1. 歴史的な記録
2. その主張された真実の効果
3. 測定された意識レベル
4. 主観的な経験からくる確認


スピリチュアルの育成


アストラル界、超常現象、超自然の領域は、ナイーブな求道者や初心者には印象的で惹かれるため、真のスピリチュアルの求道から脱線してしまうことがあるのを警告していました。また、この領域を扱う書籍や雑誌はフィクションであることが多いそうです。

意識レベルが500台を越えると、超正常性が経験的現実として起こります。こうした現象は「神通力(siddhis)」と呼ばれます。この現象は、その人がコントロールできるものではないのでパーソナルではありません。現象が奇跡のように見えるのは、リニアなマインドによって原因と結果という限られた知覚で目撃されるからです。神通力はそれ自体で起こり、予測ができず、永続しません。

いずれにしろ、そういった現象に興味を向けないで、自己実現とエンライトメントに専心するようにとありました。

レベルの混同


意識レベルによって現実が違うので、高次レベルの現実を知識として知っていても、それは自分の意識レベルの現実ではないということが説明されていました。たとえば、ラマナ・マハルシは、「見ている世界は存在すらしないから世界を救おうとするのは意味がない」と言っているのは、意識レベル720における経験上の現実ですが、それより下のレベルの現実ではありません。

It is necessary to be true to the reality that is experientially valid and true at one's level of development.
その人の発達レベルにおいて、経験的に妥当で真実である現実に正直である必要があります。

LSDを服用した人が自分には体がなくて飛ぶことができると信じて窓から飛び降りるのは、レベルの混同による過ちです。また、エゴ/マインドは幻想のもとに動いているから、その決断や行動はカルマ的に答えることができないと決めてかかるのも間違いです。何か架空の理想レベルにおいてではなく、各人は、その人の意識レベルにおいて責任があるのです。

それぞれの意識レベルは、重要性、理解、意味の解釈に影響を与えます。だから、責任はその理解力に応じて問われます。

不変の努力


エンライトメントへの道は、突発的な情熱よりも、一定で変わらない根気ある努力が成果を上げます。スピリチュアルの進化は、それぞれの段階で満足と報いが得られるものです。

内なる満足が、世俗的な利益や他への影響力や支配力を得る望みよりも重要になります。もはや心の滋養を自己陶酔的なエゴに求めることはなく、大いなるセルフに見出します。獲得する喜びが、内なるプロセスの展開への感謝に取って変わります。自発的に外界に求めることがなくなります。

スピリチュアル進化の歩みは個人的な支配下にはなくて、突然、大きな飛躍が起こることがあります。だから、前もって、どんなことが起こるのかという知識を得ておくのが懸命だということです。

スピリチュアルの努力と進化による目に見えない恩恵は、人間の集団意識にポジティブな影響を与えることです。精進に励む人それぞれが、かなり意識レベルの低い多数の人のネガティブな影響を打ち消します。実際、人類の集団意識レベルは上昇しつつあります。

質疑応答から


Q: 俗世の生活からどんな真の価値が得られるのでしょうか?

A: この世界は、エゴのドラマチックな表現で投影したものにすぎないので、内なる成長にとって最適な刺激として見ることができます。同化や執着を介して、その幻想に誘い込まれたり陥ったりしないで、学びとするのが最善です。俗世のパノラマは、全ての意識レベルをむき出しに反映しています。このパノラマは識別力を養う学校のようなもので、極端は外観の下に隠れた本質を見せるのに役立ちます。

Q: この世界にどう関わっていくのがよいでしょうか?

A: 執着せずに交流すると、習慣的なスタイルや態度が見えてきます。これは、エゴの内なるポジショナリティからきています。さまざまなパーソナリティの型を、そのふりをする実験で、開拓されていない内なるリソースを発見することができます。人は、推定とそれに伴う抵抗に基づいた状況を避けることがよくあります。想像か日常で、ある活動や人を楽しんでいるというふりをすると、喜んだり楽しんだりする能力は内から来ることを発見して驚くことでしょう。

Q: ロジャー・バニスターが「1マイル4分」が越えられないという信念を崩した例をあげていましたが、これはスピリチュアルの修行とどういう関係があるのですか?

A: その分野で最高の達成を遂げるところまで意識レベルを超越する個人は、後に続く人たちがそこまで行くのを容易にします。ちょうど、先頭の犬が雪を掻き分けて、残りのチームが前進するのを容易にするように。個人的にみえるスピリチュアルの努力が全人類に貢献するのです。レベル200を越えた各人はすでに、数えられない人たちがそれに続くのを可能にしました。人は自分一人のためにエンライトメントの境地に行くことはできません。なぜなら、その影響は全人間意識で感じられるからです。




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