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2017  15:18:07

一瞬一瞬を生きることー"And There Was Light"から

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And There Was Light: The Extraordinary Memoir of a Blind Hero of the French Resistance in World War IIの続きです。

前回はゲシュタポに尋問されて投獄されたところまででした。

ブーヘンヴァルトへの道


他の捕らえられたDefense de la France(DF)の仲間がどこにいるのか、自分と同じ運命をたどっているのかと考えられずにはいられませんでした。仲間のことが分かれば、苦しみは和らぐのにと思うのです。

そんなある日、11月でしたが、1階の医療室に呼ばれたとき、嬉しさに叫ぶFrancoisの哀れな声が聞こえてきました。彼から、Elioの裏切りとゲシュタポに逮捕されたいきさつを聞きます。Francoisは拷問を受けて危うく死ぬところでした。肩を脱臼し、声はひどい鼻声になっていました。Francoisの強さに感嘆する著者。

医療検査が意味がないのは明らかです。Francoisは、労働のためにドイツに送られるだろうと言います。でも、著者は釈放されるだろうと。その夜、人のよい看守からJeanのメモを受け取りました。同房者の一人が読んでくれます。

"I am in the third section. They have done me no harm. I have high hopes for you. I love you more than myself. Jean"

"I have high hopes for you"だって。Jeanも、自分が釈放されると思っているのだろうか? 3人の同房者も、それは間違いないと同意します。目の見えない者をどうすることができるというのかと言うのです。

結局、著者はドイツのブーヘンヴァルト強制収容所に送られることになるのですが、何とDFの仲間、Denis、Gerard、Fredericと一緒でした。列車に押し込められ、立ったままの状態です。食事も飲み水もほとんど与えられませんでした。

こうして、1994年1月の終わりブーヘンヴァルトの門をくぐったフランス人男子2000人のうち、15ヶ月後、生きて解放されたのは著者を含めてわずか30人ほどだした。

囚人は、ヨーロッパ各国から送られて来る他に、アメリカ人も何人かいました。ユダヤ人は管理上のミスで送られてくるだけなので、ほとんどいませんでした。各人は到着して検査が終わった後、番号を与えられます。

死の淵から生還


2月の気温は零下、あてがわれたシャツのボタンは一つだけ、10もの穴が開いたジャケット、素足に木靴。寒さが一番堪えました。DFの仲間と一緒だったので耐えられたのです。他の多くの囚人の上にはすでに絶望がのしかかってきており、生命力を失って死に急ぎます。

しかし、2月の終わりには、筆者も死んだも同然のような気になっていました。DFの仲間は外部労働分隊に駆り出され、別の収容区に移って行ったのです。

3月。仲間が去って、一人取り残された著者は、小さな子供のように怯え、自分を守ることもできませんでした。パンとスープを盗まれ、衰弱してしまいます。でも、目が見えないおかげで、強制労働からは免除されていました。その代わり、傷病収容区に移されました。通常の300人の代わりに、この収容区には1500人もの囚人が押し込まれました。

そこには、片足の者、片腕の者、耳の聞こえない者、聾唖者、目の見えない者、足がない者、さまざまな病人、70歳を越える年長者、16歳以下の者、そして狂人たちがいました。毎日のように人々がどんどん死んでいき、生きている者にぶつかるより、死人にぶつかる確率の方が高いくらいです。

悪臭は耐えられないほどで、火葬場からの煙でその匂いを被っている状態。著者はもう歩くのを止め、何日も死体や負傷者、その他の中を這いずり回っていました。いたる所でうめき声がします。そしてついに耐えられなくなり、重い病に倒れます。肋膜炎、赤痢、感染症などを次々に併発したようです。

4月に病院に運ばれます。とはいっても、治療はせず、寝かせて死ぬままにさせて置くだけです。著者は熱に浮かされてはいませんでした。それどころか意識は冴えていました。自分の体の組織が、次々にコントロールを失っていくのを見ていました。ところが、信じられない生命力が著者を捉えたのです。その命の泉から強さを引き出していました。

自分の力ではどうすることもできないけど、自分を生かそうとする大いなる力を感じ、それに委ねました。ただ、一つだけ自分で戦わなければいけないことがあります。それは恐怖を越えることです。恐怖は命を奪います。やがて、徐々に死の淵から生還します。5月8日、自分で歩いて病院を後にしました。

この後、収容区に戻り、さらに11ヶ月をそこで過ごすことになるのですが、その極度に悲惨な状況にあって、残りの330日の間、悪い思い出は一日もなかったと言います。導かれ、保護されていました。

I was carried by a hand. I was covered by a wing.

だから、もう自分のことを心配することもありませんでした。それよりも、他の人の力になってあげたいと思いました。

自分の中にあふれてきた光と喜びを他の人にも向けることができました。この頃から、パンとスープを盗む人はいなくなりました。苦悩している人を慰め、生きる力を与えました。何百人もの人の話を聞いてあげました。彼らはフランス語、ロシア語、ドイツ語、ポーランド語で話します。最善を尽くして理解しようとしました。 

That is how I lived, how I survived.

仲間との別離


病に倒れて生死をさまよっていたとき、ずっとJeanのことを思っていました。病に倒れる前の夜、Jeanがブーヘンヴァルト強制収容所の門で死んだのを知らされていました。Francoisに聞いたのです。ある日、彼がブーヘンヴァルトに居るのは知らなかったのですが、疲れて歩き回っているときに会ったのです。

Francoisは、Jeanと他のDFメンバー3人と一緒にNeue Bremm(ノイエ・ブレム)に送還されていました。そこは、1~2週間で囚人の気力をくじくために、懲罰(一種の拷問)と睡眠不足と餓えを強いられるのです。何とFrancoisとJeanはそこに3週間もいたのでした。疲労と怪我で死の寸前で、どこへ送られるとも告げられず、列車に乗せられ、ブーヘンヴァルトに来たのでした。でも、Jeanは、門をくぐることなく、眠るように息を引き取ったということです。

Francoisは強制労働に駆り出されていました。彼は決して弱音をはかず、作業場へ行くとき、自分のシャベルだけでなく他の人のも持って出かけます。戻って来れば、怪我を負った人の手当てをし、死んでいく人を看取ります。彼に自分の体力を蓄えておいた方がいいと言っても無駄です。

Francoisが去ってしまった後、Georgesが到着しました。5月13日でした。著者がちょうどバラックを出たとき、突然叫び声を聞き、抱きすくめられました。Georgesだとすぐに分かりました。彼は捕まったとき、レジスタンスの11の隠れ場所の鍵を持っており、11回拷問を受けました。どうやって、何も白状せず持ちこたえられたのか、著者には理解できませんでした。Georges自身も分かっていないようでした。数日、Georgesと共に過ごしましたが、彼も処刑されました。

Georgesは「さようなら、Jacques。もう会うこともないから」と最後に鉄条網の向こうから叫びました。これは、誰も言わなかったことです。Denisも、Fredeireも、Francoisも。

一瞬一瞬を生きること


忘れることが法則です。Jeanでさえも、忘れてしまわなければなりません。苦しみから離れるためだけでなく、むしろ、生きる力をつかんで放さないために。今という瞬間を生きなければなりませんでした。そして、それを貪りつくすのです。

配給されたパンは取っておかないで、すぐに食べます。パンくずも、世界でそれしか食べるものがないかのように味わいつくします。日光が入ってきたら、体いっぱい吸収します。一時間前は寒かったとか、一時間後にまた寒くなるとか決して考えず、ただ暖かい光を楽しむのです。

記憶や希望を締め出して、一瞬一瞬にのみ焦点を当てれば、どんな苦悶も長続きしません。

Throw yourself into each moment as if it were the only one that really existed.

人は外のラベルでは分からない


囚人は、すべてを取り上げられ、外から何も飾るものはありません。身分も職業も、信じている宗教も関係なく、老いも若いのも、英雄も犯罪者もみな一緒に共同生活をするのです。著者は自分はまだ20歳だから、幸運だったと言います。名誉や体面などあまり気にするような年ではなかったからです。

ブーヘンヴァルトで一年を過ごした後、人生はこれまで信じていたのとは違うと思うようになっていました。

バラック56で、日夜、狂暴な男の面倒を見たり、病人の世話をやいたりしていたのが、普通の生活では柔弱な同性愛者だとみんなから言われていた人だったなんて、どうして説明がつくだろう。関係を持つのをためらわれるようなその人は、ここでは天使、あるいは聖者そのものだったのだから。

また、母親と妻を殺害した男が、自分の命が短くなる危険を犯して、他の人に自分のパンを分け与える勇気と寛大さを示すなんて、誰が信じられるだろうか。その一方で、正直なビジネスマンで父親でもある男が、なぜ、夜起き出して他の人のパンを盗んだりするのだろう。

エピローグ


著者はエピローグでこんな風に結んでいます。

The first truth is that joy does not come from outside, for whatever happens to us it is within. The second truth is that light does not come to us from without. Light is in us, even if we have no eyes.

最初の真実は、喜びは外からやって来ないことです。何がわたしたちに起こっても、それは内にあるからです。二つめの真実は、光は外からわたしたちのところに来るのではないということです。光は、わたしたちの中にあります。たとえ、それを見る目を持っていなくても。







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