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2017  09:23:41

レジスタンスの結成ー"And There Was Light"から

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And There Was Light: The Extraordinary Memoir of a Blind Hero of the French Resistance in World War IIの続きです。前回はこちらです。

決意


著者の親友のJeanには、亡くなったお父さんの友人でJeanをとても可愛がってくれる人がいました。4月のある晩、いつものように、Jeanがその人のところを訪れると、もうここにはいないと管理人に告げられます。2日前の朝5時に、ドイツ人の警官に連れて行かれたのです。その3人の警官の中で一番背の高いのが振り返って、「心配するな。ユダヤ人というだけのことだから」と言ったと話してくれました。

著者が下校しようとしているとき、一人の若い男性が著者の腕を取って、表門の角に連れていき、不安気な声で告げました。「ゲシュタポが今朝Gerardを逮捕した」

この若い男はGerardのお兄さんで、自分も危ないと言いました。というのは、お父さんがロンドンで「自由フランス」に加わっていたので、Gerardは人質として捕らわれたに違いないと思っているのです。著者がGerardの親友なので、捕らわれたことを伝えに来たのでした。

3日後、著者は病に倒れました。麻疹で、病気自体は特別のことではないのですが、体が放出しようとした毒素は、物質的なものだけでなく、精神的なものでもあったという確信がありました。

高熱だったとき、不思議にも頭ははっきりして、自分の中で起こっている戦いを見ていました。感情で体と心がずたずたにされましたが、まるで敵を撃退するかのように怒りで突進していきました。もはや、自分が病気だということはどうでもよくなったのです。そして、進入してきたのは、ウィルスではなく、決意でした。

前には思いもしなかった目的地へ突き動かされ、抵抗する術はありません。この決意が自分に命じます。まず、家族の者には何も告げてはいけないこと。少なくとも今の時点では。次に、FrancoisとGeorgesの二人とミーティングを持つこと。それから、10人ほどの仲間に接触すること。仲間のリストはすでに出来ていました。

自国が占領され不動の状態にあるあいだ、誰も口に出さず、じっと待っている。何を待っていたのだろうか? 恐怖に押しつぶされること、生の喜びが吸い取られてしまうことを待っているのだろうか。フランスには、人質と人質を殺める二つのタイプの人間しかいなくなるのか。 That I did not want.

レジスタンスの結成


Francoisは著者から打ち明けられたとき、大喜びしました。長い間、考えていたようで、巧妙に考えた計画を一気に話し出しました。Georgesの反応はかなり違いました。小柄で年長(20歳)の彼は大胆不敵ですが、抑制したところがあります。Francoisと対照的で、現実的なことしか理解できません。Georgesは具体的な計画の内容を知りたがりました。

いったん始めたら、驚くスピードで事が進んでいきました。数日後には約10人の同志が集まり、最初の会合が開かれました。ところが、集まったのは10人ではなく、52人にも上ったのです。

一旦、コミットしたら後戻りできないことを告げました。こうして、レジスタンス活動が始まりました。最年長者が21歳に満たず、著者自身はまだ17歳に達していませんでした。これは、外面的に有利です。子供だと思って疑われる心配が少ないからです。

もちろん、52人も一度に集まるのはこれが最初で最後です。今後は、緊急のときを除いては、一度に集まるのは3人に絞らなければなりません。そしてまさにこの最初の会合以来、著者たちは、無邪気な普通の若者の生活とレジスタンス活動の二重生活を送ることになります。ガールフレンドにも家族にも活動のことを知られてはなりません。

I had stripped myself of the right to dream. At any rate, now my dreams could take only one path and I should never know what lay at the end of the road until it was upon me.
自分から夢を見る権利を取り上げた。とにかく今は、夢が行く道は一つしかないし、その道の終わりに何が待っているのか、実際に起こってみるまで知る由もない。

一年以内に、600人もの男子が著者のところを訪れました。大抵の場合、著者の名前も知らずに送られて来るのです。最初の52人のメンバーが数日間観察して信用できると思ったクラスメートなどをリクルートして、著者のところに送ります。面会のルールは厳しく決められていて、それに従って面会に来ること、著者の判断でいいだろうと思われる人だけが同志に加わることを許されます。やがて、上の学年の者や職を持った人など、もっと年が上の人たちも活動に加わるようになりました。

レジスタンス活動は、イギリスやスイスのラジオ放送を聞いて、戦争に関する本当のニュースを集めてまとめ、配布することです。なにしろ、新聞はドイツの検閲を受けたもの、ロンドンの「自由フランス」からのラジオ放送は妨害信号が入って何を言っているのか分からない。それに、イギリスのラジオを聞くのは禁じられており、ドイツが散発的に取り締まるので、恐怖のためにほとんどの家庭は危険を犯してまで聞こうとするのを止めていました。

It was urgent to guide public opinion and set it straight.
世論を導いて正しくすることが緊急でした。

当時、ほとんどの人がナチの占領下で希望を失っていました。だから、同盟国の動きを伝え、勝利の希望を持たせること、ナチの占領に慣れっこにならないようにすることが大切だったのです。

同志と共に


著者は、レジスタンス活動を引っ張っていく立場で、自分に指示を与えてくれる人がいなくて孤独に陥っていました。ある日、両親に活動のことを告げます。両親は勇敢にも自分たちの恐怖を押さえて、全面的に支持してくれました。しかし、これからは、一切活動のことを話さないことで合意しました。

また、著者とJeanは歴史の教師のところへ行き、活動のことを話しました。二人共、誰か信頼できる大人に聞いてもらいたいと思っていたのです。教師は活動を認めましたが、話を途中でさえぎって「もう十分に聞いた」と言いました。でも、毎週2時間、話したい問題を聞いてあげよう、できることはしてあげようと言ってくれました。

Jeanは、新しい生活に適応するのに苦労していました。まず、人を疑ってかかるということ、そして、場合によっては嘘をつかなければいけないことは、嫌悪感で身震いしたくなるほどです。だから、自分はレジスタンスのよい兵士には到底なれないけど、著者の指示で行けと言われればどこへでも行くと言いました。

FrancoisとGeorgesの方は、レジスタンス活動が板についています。彼らは、隠さなければならないことがあればあるほど、抜け目なく賢くなっていきました。とりわけFrancoisは、フルタイムの秘密諜報活動をするため勉強を止め、黒い建物の屋根裏部屋に住み始めました。そこから屋根上に上れるので、何かあったとき脱出するには好都合なところです。

危険はプロよりも、裏切り者から来ます。彼らは恐怖のために正気を失っている人たちです。パリ住民の半分がこの部類に属しているという苦い事実を受け止めなければなりませんでした。彼らの意図は犯罪ではありません。ただ家族や自分のお金、健康、所有物を守りたいのです。ゲシュタポよりもたちが悪く、何の考えもなく著者たちレジスタンスのことをゴシップし、ためらいもなく告訴します。

1941年、著者はパリ大学に入学し、勉学とレジスタンス活動の両立を2年間続けることになるのですが、すごいです。朝4時から7時は自習、8時から4時まで大学の講義を受け、4時以降にレジスタンス活動。

情報の配布だけだったのが、ドイツに撃墜されてフランスに墜落した同盟国の空軍兵を見つけ出して、救出を助けるという活動も加わりました。Robertという40歳で既婚の男性がやっていたことで、彼のグループに協力するようになったのです。

また、偽の身元証明書を用意することも余儀なくされました。食料はすべて配給で身分証明書が必要。救出した同盟国の兵士のためと、危険を犯して働いている活動家たちのためです。もし、本名でつかまったときに家族に及ぼす影響を考えてのことです。爆撃で破壊された場所が多数あり、そのときに亡くなった人の証明書を町役場で見つけ出すのです。

その後、危険が大きくなったため、Robertは、著者のグループから完全に離れた方がよいと判断します。代わりに、Philippeに引き合わせてくれて、著者たちはDefense de la France(DF)のグループに加わることになります。Philippeは26歳で1939~1940年に将校でした。DFにはプリンターがあり、配布数が大きく増えます。怪しまれないように、パリだけでなく他の都市へも定期的に配布。

密かに印刷したり配布する苦労やエピソードはおもしろかったですが、割愛しますね。本書のサマリはあと1回ほどです。




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