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2017  09:07:35

内面世界、声で分かる人間性ー"And There Was Light"から

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And There Was Light: The Extraordinary Memoir of a Blind Hero of the French Resistance in World War IIの続きです。前回はこちらです。

著者は、盲学校には行かずに、普通の学校に行くようになりました。これについて、両親にとても感謝しています。この先、社会生活する上で、疎外されないで皆と同じようにやっていけるようになることが、唯一の完全な治療だからです。

もちろん、学校へ戻る前に、本人は点字を習得し、点字タイプもできるように準備したのですが、お母さんが素晴らしいです。校長が親切にも入学を許可しましたが、他の生徒の学習に支障をきたさないように、お母さんも点字を学んで著者の宿題を数年間見てあげるなど、愛深い家庭教師を務めたのです。

内面の世界


点字タイプや他の道具でできることには限度があるので、自ずと、すべて頭の中でビジュアライズするようになりました。

想像力も鍛えられて、人生を二度繰り替えしているようだったと言います。一度目は、日常に出くわす物や出来事から成っていますが、二つ目のは、それよりもずっとカラフルで、明るく、宇宙全体と調和した一つの絵になっていました。そこは、自分だけの避難場所、秘密の部屋で、自分に起こったことがすべてこの場所に入ってきます。

記憶力も発達するのですね。何しろ、目で見て再確認ができないわけですから。思い出すのも、名前や姿が内面のスクリーンに映し出されるのを見るという感じで魅了されたと言っています。スクリーンも一定のサイズとかではなく、空間にあるというのでもなく、同時にどこにでもあって、ただ注意を向ければよい。

内面のスクリーンに現れるものは、生きている物からアイデアまで、すべて光から浮き彫りにされたと。数字や文字や感情には色があります。たとえば、数字の5は黒、文字のLはうす緑、優しい気持ちは柔らかいブルーというように。

地図も内面のスクリーンに保存してあるので、パリの街を目の見える仲間と歩き回って迷子になったとき、彼らは著者に方向を聞くのです。内面の地図で確認すると、必ずや行く先が見つかります。

著者はこう問いかけています。

Isn't it true that the realities of the inner life seem like marvels only because we live so far away from them?
内面の生活の現実に驚嘆するのは、そこからずっと離れて生きているからというだけのことではないだろうか?

Hmm...、ふ~ん、内面の生活、ここが本来の拠り所なんだと思います。ここから、新しいアイデア、ひらめきが出てきたり、心の平安を取り戻したり、本当の強さを見出したり。そして、ガイドや神、宇宙からメッセージを受け取れる場所なんですよね。

密な人間関係


著者の思い出には、いつも他の人間との密な関係が伴っています。なんとなれば、生活をしていく上で、他の人の助けを借りる時が必ずあるからです。それは免れることはできません。それは盲目者にとっての不幸だと著者は捉えていません。かえって、手を貸してもらったり、肩をそっと押されたりというスキンシップで、関係が深まり、喜びが得られることに感謝しています。

パリの生活は田舎と違って困難でした。都会の常で、人は押しのけたり、突然、前を横切ったりと身勝手だし、トラックやらビルの前に組まれた足場、街灯柱など、障害物が沢山あります。

公園では、子供のお母さんが「あの子と遊んじゃダメよ。ほら、目が見えない子だから」と囁くのに何度も遭遇しました。その時は電流を受けたようにショックでした。でも、そうした恐れに支配されたお母さんたちは、ある意味、自分にとってサービスをしてくれたと言います。というのは、自分の子供を守る方法を知らなかったかもしれないけど、彼女たちの子供から著者を守ってくれたから。

盲目の子供にとって恵まれているのは、思いやりのない子供と関わらずに済むことです。彼らは、意図的に避けてくれるから。著者は、気立てのよい子供たちだけと交流する境遇にあったことも感謝しています。

学校側は、著者が階段を降りたりするのをガイドしてくれる子供を探さなければならなかったですが、自分から進んで申し出てくれたBaconという少年がいました。勉強は出来なかったし、他の生徒から馬鹿にされていましたが、とてもよい子なのです。その後も、著者が交流した子供たちにはさまざまなタイプがいます。共通するのは、外見ではなく著者の人間性を受け入れたということかしら。

声で相手を読み取る


おもしろいのは、失明してから両親や愛を感じる人々の顔を忘れてしまったのに、時折思い出す顔は、自分がそれほど気にかけていない人のだったというところです。すぐに、肌が白いとか黒い、目がブルーだとかグリーンといった外見にこだわらなくなり、ある人に抱く印象は、目が見える人が持っている印象と正反対のことがよくあったと言います。とかく目が見えると、外見に惑わされるということかもしれません。

これで、気がつきましたが、電話などで会話をしてある印象が出来上がっていたのが、実際に会ってみたら、思っていたのと違うということありませんか? どうなんでしょうね。どちらの印象が正しいのかしら。それから、第一印象と相手をよく知るようになってからの印象も違いますよね。もっとも、第一印象は直感で感じるもので、こちらの方が本当に近いというのは聞いたことがあります。

それから、誰かと面と向かって会話をして熱中しているとき、相手の顔や表情などあまり見ていないから覚えていないですよね。ところが、会話がつまらないとか、雑念が起こると、相手の顔や表情を見ていてちゃんと覚えていたりする。

著者の場合は、人の声からかなりの情報を得ます。相手がどんな状態にあるのか読み取ってしまいます。相手がしゃべる言葉よりも声の方から。そして、声がかもし出す人柄は偽れないみたいですね。美しい声(心の清らかな人の声という意味です)は、咳き込んでいても、口ごもっていても、美しいままです。その一方で、醜い声は、柔らかく、芳香を漂わせ、ハミングすることができるけれども、徒労でしかなく、醜いことに変わりがないと。






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