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2017  09:44:31

すべてが向こうからやって来るー "And There Was Light"から

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前回に続いてAnd There Was Light: The Extraordinary Memoir of a Blind Hero of the French Resistance in World War IIです。

著者のJacques Lusseyranが8歳で失明してから、新たに光を通して見るようになったことがとても興味深かったのですが、もう少し続きがあります。

恐れると光が弱くなる


著者自身、光が見えたことが信じられなくてテストをしたそうです。

瞼を閉じてもう見えないと言い聞かせ、終いには、意志の力で光の流れを止めようとしました。そうすると、渦巻きのような乱れが起こったのです。これは長く続けることができなかったのですが、その間は自分が何かやってはいけない事をやっているような、生命に抵抗しているような苦悶を経験しました。生きるのに酸素が必要なのと同じく、光も必要だったのです。

光は向こうからやって来て、去っていくことはありません。でも、光がほとんど消えそうなくらい弱まることがあります。それは、恐れを感じているときでした。

著者は動き回るとき、ためらったり、推し量ったり、壁や半開きのドアなどのことを心配し、自分を傷つけるものだと敵意を持つと、必ず物にぶつかって痛い思いをします。逆に、そういう事をほとんど考えないとき、障害物の間をうまくすり抜けることができます。恐れていると見えなくなります。

怒りや焦りもすべてを混乱させて、同じ結果を招きます。怒りを覚える直前は、部屋の中のすべてが分かっていたのに、怒りを感じた途端、部屋にある物は、到底ありそうもない隅の方に隠れ、ごちゃ混ぜになり、ひっくり返ってワイルドになり、もう、どこに手足を置いたらいいのか分からなくなってしまいます。

また、少人数で何かゲームをしているとき、突然、どうしても勝たねばという気持ちが起こると、途端に、何も見えなくなり、文字通り、霧や煙に覆われてしまいます。

I could no longer afford to be jealous or unfriendly.
もはや、嫉妬したり敵対したりできなくなりました。

When I was happy and serene, approached people with confidence and thought well of them, I was rewarded with light.
ハッピーで穏やかな気分にあって、相手を信頼し、相手のことをよく思ったとき、光で報いられたのです。

だから、道徳規範なんて必要ありませんでした。光の方に向けば、自然に調和が得られたのですから。


音についても発見がありました。

Everything in the world has a voice and speaks.

たとえば、夜、自分の部屋に入ると、マントルピースの上にある置物がほんの少し向きを変え、空気中にその摩擦音が聞こえます。一歩踏み出すたびに、床が歌うのが聞こえ、その歌が板から板に伝わって窓まで伝達され、部屋の寸法を教えてくれます。

音は突然始まって終わると思われているけど、まったく違うと言っています。耳で音が聞こえる前に、音の指先が自分に触れて、そちらの方に向かせます。人が話し出す前に、聞こえることがよくあると。

音も光と同じ性質を持ち、内や外にあるのではなくて、自分を通り抜けることに気づきました。方向を教えてくれるので、物の場所が分かって触ることができます。それは、信号を発するというよりも、返答してくれているかのようです。

盲目だと音に敏感になると言われますが、そうは思わないと著者は言います。音を聞く耳の能力は前と変わっていません。ただ、使いこなすことができるようになったと。視覚は、物質生活の豊かさを見させてくれますが、その代わりに、他の感覚を十分に使いこなすことを手放してしまったのです。

音について最も驚いた発見は、音は空間のあるところから発することもなければ、退いていくこともないということです。音があり、その残響、そして別の音が重なって新しい音を産み出し、こうして幾重にも無限に音が作られていきます。

著者は、騒音や無意味な音や耳障りな音楽が延々と続くのには我慢できません。自分が聞こうとするのでない音は、体や精神への一撃です。なぜならば、音は自分の外で起こるのではなくて、自分を通り抜けていき、聞き込まなければ、残ってしまうからです。

別の世界と新しい見方


手に働きについて。

視覚から受ける命令を受け取れなくなったために、手自らの知恵を身につける時間が必要でした。視覚と違って物の重さ、硬さ、厚み、高さ、肌触りなどを実直に捉えます。

指の働きについては、ただ物をつかむためだけだったのが、失明後は、各々の指が独立して対象物を調査するので、捉え方のレベルが変わったと言います。特に、指の動きは干渉せずに任せておくと、常に動いている対象物の波動や振動を感じて識別するのです。

その他にも感覚についての描写がありましたが割愛します。でも、とても興味深かったので、ちょっと目を閉じて歩いてみたり、物を触ってみたりしています。確かにわたしたちは、視覚に偏り過ぎているのかもしれません。

とにかく、失明した後、別の世界に入りました。でも囚人ではありませんでした。子供時代の冒険は素晴らしいものですが、著者は、内の世界も空虚に感じませんでした。そこには自分だけの部屋があります。

著者は両親に恵まれていたことに感謝しています。彼の両親は、目が見えることが普通で、盲目は呪われた状態だと捉えたりはしません。著者のやり方を認める度量がありました。著者は、同じように事故で失明した少年と午後を過ごしたことがあるのですが、もし自分の両親に理解がなければ、その少年のようになっていただろうと思いぞっとしました。

その少年の両親は盲目ということを特別扱いして、あらゆることからその少年を隔離しました。少年が自分の感覚を説明しようとしても取り合わなかったのです。そのため、少年は、大きな悲しみと復讐心で、車椅子に無気力に身を任せ、容赦のない孤独に自分を投げ出してしまっていたのでした。

著者は、目が見えていたときの習慣から抜け出して新しい見方を学ばなければなりませんでした。それは、対象物が向こうから来るのに任せるのです。少しでも、こちらから向かっていったり、興味を持ったり、知ろうと思わないで。そうすると、たとえば木がまっすぐ伸びて背が高く、枝を広げているのか、あるいは一部、地面を這うようにして低木で密集しているのか自ずと見えてきます。

おもしろいですね。仏教でいう無心になることに通じると思うのですが。その境地にいると、自然に物事が分かってくるのだと思います。わたしも、それを体得したくて瞑想しなくちゃと思うのですが、悲しいかな、日々の用事や雑事に流されてしまう。トホホ…

著者が言うには、誰もが'terribly greedy'だと。すごく欲張りだって。この世界が自分と同類で、こちらの都合どおりに動いてくれるのを求めていますが、そうするとぶつかったり、怪我をしたりします。でも、この世界が自分一人ではないと思い出すとき、いつも酬われます。すべてが向こうからやって来るのです。





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2 Comments

ぴーちくばー1223  

Re: Jacob Libermanの著書にもありますね

エッ、そうなんですか。ご報告、ありがとうございます。
何かシンクロしてて、鳥肌ものですね。なんか、嬉しい!
Jacob Libermanさん、知らなかったのですが、
彼のサイトに行くと"Wisdom from an Empty Mind"という著書があって、とても興味ありです。

2017/03/04 (Sat) 12:34 | EDIT | REPLY |   

常連  

Jacob Libermanの著書にもありますね

今回もすばらしいサマリをありがとうございます。
前回コメントさせて頂いたところなので迷ったのですが、わ!と思う発見があったので連続で失礼します。
Jacob Libermanが「Take Off Your Glasses and See」(邦題:「近視は治る―心と視力のメカニズム」)で、視力低下は幼少時のトラウマ(精神的ショックや恐怖体験)が原因となっていることが多いと述べていて、それはこの「恐れると光が弱くなる」=視力低下というのと同じなのかなと思いました。
…と、確認のために本を引っ張り出して調べたら、何とこの「And There Was Light」の引用が載っていました!笑

2017/03/03 (Fri) 17:39 | EDIT | REPLY |   

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