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2016  11:27:30

自己批判と罪悪感は幸福と共存できないー"Happiness Now"から

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前回に引き続き、Happiness Now: Timeless Wisdom for Feeling Good Fastです。

自分に満足しないと幸福になれないということでした。そうでないと、自分には幸福になる価値がないと、自分で幸福をブロックしてしまうからです。幸福は自然な姿なのに。

今回は自分を受け入れるときに障害となることについてです。

自己批判と罪悪感は幸福と共存できない


To persist with a judgement of unworthiness and also accept happiness is too much of a contradiction.
自分には価値がないと執拗に自己批判することと幸福を受け入れることは、かけ離れ過ぎて両立しません。

だから、自己批判を止めて自分を受け入れることが大切です。幸福を望みながら、それを受け入れるには罪深いと思ったり、そんなことを望むのは利己的で不適切ではないかと恐れたり、何か隠された犠牲が強いられるのではと思ったりということがあるのです。

わたしたちは、幸福には何らかの苦痛や努力、犠牲といった支払いが必要だと条件づけされてきました。こうして言われると奇妙な思い込みだと思うのですが、確かにどこかである程度の苦労をしないと幸福は手に入らないと思っているところがありますね。

著者はさらにこんなことも指摘しています。

Whatever you most desire is what you feel most guilty about!
一番望んでいることが何であれ、それが最も罪悪感を感じているものです。

喜びはあまりにも素晴らしいので、罪に感じられるのです。肉体の幸福は五感の感覚を楽しむことですが、あまりに楽しんでしまうと罪悪感を感じるというのは分かります。そう教え込まれてきたからです。

いずれにしろ、そんな罪悪感を感じているあいだは、自分を受け入れて幸福を感じることはできません。罪悪感は、自分に幸福を感じる価値がないと思っていることの裏返しだからです。

罪の意識は「制限のないセルフ」には無関係なもので、後になって教えられたのです。宗教や両親、学校の先生たちから、それとなく罪の意識を持つように教えられてきたのです。

たとえば、親が「お前のためにどれだけ苦労したかしれない。それなのに、自分のことしか考えないのだから」と言えば、幼い子供は素直にそれを受け入れて自分は何て悪いのだろうと思ってしまいます。学校に行けば、先生から「お母さんが何て言うだろうね」みたいなことを言われたり、教会では「神様はどう思われるでしょう」と来るのです。

ところがです。思考というのは、相手にぶつけても、自分から離れていかない。つまり、相手に罪があると伝えれば、同時に自分自身にも罪があると伝えていることになります。また、相手が幸せになる価値がないと批判すれば、まさにその瞬間、自分も価値がないと自分に言っているというのです。

その逆も然りです。他人の良いところや内なる輝き、純真さを認めるとき、それと同じものを自分の中にも認めているのです。

すごいでしょう? すべては一つということはこういうことなのかと目からウロコです。

幸福の障害になる社会の倫理


You do not deserve happiness, you chose happiness.

前半の「幸福になる価値がない」とは、かなりショッキングですが、ここで言わんとしていることは、幸福は価値があるとかないとかの問題ではなくて、選択の問題だということです。幸福を手に入れるために苦労したり努力したりしなければいけないという感覚は、幸福になるために自分の価値を高めなくてはという思い込みから来ているのです。

この思い込みは大きなダメージを与えるもので、罪悪感や自己卑下、そして幸福にまつわるあらゆる恐怖に関与しています。そればかりか、社会が支持する倫理にも貢献しているのです。とりわけ、労働の倫理、苦労の倫理、受難の倫理の3つです。

the Work Ethic 労働の倫理

この倫理では、幸福は自然に備わったものではありません。働いて始めて幸福という支払いを受け取ることができるのです。この倫理は「幸福の追求」を支持します。

幸せになるために懸命に働き努力するのです。なにしろ、価値のあるものはすべて努力しないと手に入らないと思い込んでいるのですから。この倫理では、創作活動はインスピレーションではありません。愛情も努力で喜びではありません。"no pain, no gain"です。

著者は、何も努力が悪いと言っているのではなく、中毒になるのが問題だと言っているのです。楽しみを優先させることに罪悪感を感じたりしする。これは、中毒症にかかっているんですね。

立ち止まって花の香りをかいだり、自然の美しさを楽しんだり、そよ風の心地よさを感じたり、ペットと戯れたりという身近ですぐできてハッピーになれることを忘れないようにしたいです。

the Sffering Ethinc 苦労の倫理

著者のお父さんは貧しい家庭で育ったのでいかに苦労したかということを子供のころによく聞かされたそうです。苦労話をするとき、お父さんの顔は輝いていたと言います。

この倫理では、苦労をしないで幸福を手に入れるのは価値がない、高潔でないとします。確かに、この価値観は根強くはびこっています。さまざまな苦労をして最後に勝利を得る、幸福を手にするというストーリに、みんな感動しますものね。

苦労をしないと自分の価値が上がらないと思っていることに根本の原因があるようです。裏を返せば、自分に価値がないと思っているわけです。著者は、どれだけ苦労しても、あなたの価値は変わらないと指摘しています。

Your Self-worth was established in the heavens the moment you were created. Your worth comes, therefore, from who you are, not what you've suffered.

'Self-worth'のSが大文字で、「制限のないセルフ」を指しています。創造された瞬間に価値が確立されているのです。後から価値が付いたわけじゃないのですね。だから、そのままの本質に価値があって、どんな苦労をしたかで価値が決まるのではないのです。

幸福になろうと思えば、「苦労人」だとか「被害者」だとか、「元中毒者」という自分で付けた肩書きを手放さなければなりません。人って、わたしも含めてですけど、いかに大変だったかと苦労話をするのが好きですよね。聞き手が感心してくれるのに快感を覚えたりして。

でも、いつまでも苦労の方に注意を向けていては苦労から解放されないと思います。「引き寄せの法則」でも、自分が焦点を当てたものを引き寄せるといいますから。

世界の宗教や哲学に、多難を乗り越えて初めて~に到達するみたいに教えるものが多いです。でも著者は、苦痛や苦労の価値は、幸福度が下がっていることを教えてくれるだけだと言い切っています。だから苦痛の役割は、幸福の選択、愛の選択、癒しの選択、赦しの選択、笑いや自由の選択があるんだよと思い出させてくれることです。

To be happy, you have to value joy more than pain.

the Martyr Ethic 受難の倫理

この倫理は、幸福についての誤ったさまざまな思い込みから来ています。その中で主要なのが「幸福は利己的だ」というものです。

これは真実から程遠いものです。自己中心的で自分のことしか頭にない人は、幸福な人ではなく、落ち込んでいる人の方だと心理学の研究で何度も示されています。幸福な人の傾向は、社交的、気前がよく親切、鬱状態の人よりも寛容で、辛抱強く、批判することもあまりありません。

受難の倫理は、真の幸福を快楽主義、欲張り、尊大、高慢さなどと混同しているのです。本当の幸福の原理を見落としています。

The first impulse of true happiness is to share itself; happiness is not selfish.
真の幸福の一番の衝動は、幸福を分かち合うことです。幸福は自己中心的ではありません。

Joyというクライアントの例がありました。敬虔なクリスチャンで、犠牲の美徳を教え込まれていました。Joyは、人生を楽しもうとすると、必ず何か邪魔が入ることに気づきました。初めてのアロマセラピーのマッサージを受けに行こうとしたとき、これまで病気一つしなかったセラピストが具合が悪くなってキャンセルになったり、オペラに行こうとすれば爆弾予告があってパフォーマンスがキャンセルされるといった始末。

著者は、これが神や宇宙がやっていることではないし、偶然でもないと説明しました。受難を讃える思いを捨てない限り、何度も失望を経験するだろうと。だって、Joyは人生を楽しもうと表面では思っていても、何となく居心地が悪く、罪悪感を感じていたのですから。おそるべし、潜在意識! 願いがかなわないときは、潜在意識にそれと反対の思い込みがあるかどうか内省してみる価値ありですね。

また、褒められたり、愛情を示す贈り物をもらったりしたときに素直に喜べないようなら、要注意です。自分が素直に受け取れないものは、人にも造作なく与えることができないからです。





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2 Comments

ぴーちくばー1223  

Re: タイトルなし

こんにちは。コメントありがとうございます。
そう言っていただけるととても嬉しいです。

わたしも努力して幸福になろうとする口ですけど、
自分のことを好きになると、なんとなく楽しくなってくるのに気づきました。

また、遊びにいらしてください!

2016/10/31 (Mon) 08:59 | EDIT | REPLY |   

みけ  

こんにちは。
いつも楽しくブログを拝見しています。

幸福に対する罪悪感、努力・苦痛を伴わないと得られないという価値観については、まさにわたしにぴったり当てはまっていて、苦笑してしまいました。

とても参考になりました。何とか変えていけたらなと思います。

これからもブログ記事を楽しみしています!

2016/10/30 (Sun) 16:09 | EDIT | REPLY |   

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