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2016  07:33:32

幸福の追求を止めた方がいい理由ー"Happiness Now" から

かなり間があいてしまいました。10日間ほど帰郷していたのと、他の用事でなかなか落ち着いてブログを書けなかったのです。でも、続けていきたいと思いますので、応援してくださいね(^-^)/

前回に引き続き、Happiness Now: Timeless Wisdom for Feeling Good Fastです。

幸福への恐怖


「幸福」がテーマの本書、今幸せを感じられないことについて、さまざまなブロックを挙げています。なかでも、幸せになる恐怖というのは、気づいていないようで、多かれ少なかれ誰にもあるのではと思いました。

幸せを感じているとき、'Watch out for the fall'とか、'What did I do to deserve this?'、'This is too good to be true'という条件づけで起こる思考が起きて、幸せを抑制することが指摘されていました。後でしっぺ返しがあるのではとか、自分には幸福になる資格がないとか、幸せ過ぎて怖いという思いですね。

どうして、そんな風に考えてしまうのでしょうか。

一つには、自分が幸せ過ぎると他の人のやっかみを買って、拒絶されると思い込んでいるのです。また、幸福の度が過ぎると神様からも何らかの戒めを受けるという気がするのです。

こうして言葉にすると馬鹿げているように聞こえるのですが、正直に自分を見つめ直してみると確かにそんなところがあると思います。馬鹿げているのに、なぜ? 条件づけをされてきたからです。

本書では、敬虔なキリスト教の神父さんの例を挙げていました。どうしても自分が幸福になる資格があると思えなくて、自分で自分の幸福を抑制してしまい、どことなく悲しげな雰囲気を漂わせていたということです。

幸福についての思い違い


わたしたちは、真の幸せの意味も知らずに、幸せを求め、懸命に努力しています。この混乱も、条件づけから来ています。本来の「制限されないセルフ(unconditioned Self)」にとって、幸福は自然なことです。ところが、「制限されたセルフ(conditioned self)、またはエゴ」にとって、幸福は特別なことなのです。

幸福とは

「制限されないセルフ」から見ると、それはすでに自分の内にあり、不変で、何の努力も要りません。
「エゴ」の観点で言うと、それは自分の外にあり、決して持続しないもので、苦労や犠牲、支払いによって得るものです。

Our confusion is conditioned. It is learned. It is a forgetfulness. It is in no way inherent to our unconditioned self.

この思い違いは条件づけから来ています。後になって学んだことです。健忘症です。「制限されないセルフ」には全然関係ないことです。

後から学ぶ思い違いは3つのルートを取ります。一つ目は、幸福についての誤った解釈です。2つ目は、幸福になるには、まず「勝ち取る」、「努力して手に入れる」、「その資格を持つ」といった不必要な条件を付けることです。3つ目は、前述した幸福への恐怖です。

Nothing real stands between you and your happiness, only illusion and your own confusion.
あなたとあなたの幸福の間に立ちはだかるものは本当のところ何もありません。ただ、幻想とあたな自身の混同だけです。

わたしたちは、ともすれば幻想や混同(思い込み)に惑わされる傾向にあるので、この言葉はしっかりと心に刻んでいつも思い出していたいです。

幸福の追求は幸福の否定


ここでも実例が紹介されていました。著者のところにやってきたマイケルは、裕福で、著名人であり、影響力もあるのに、極めて不幸です。著者が、幸福について何を学んだかと尋ねると、しばらく考えた後で、こんな言葉が返ってきました。

20代のときは30代で幸福になることを願って懸命に働き、30代では40代で幸福を得るために毎日苦労し、40代では50代で幸せになるためにすべてを犠牲にしました。そして今50代。もう60代まで待っていたくないと。

All my life I've been struggling and searching for happiness, instead of just being happy. I'm ready to give up the search and be happy now.
僕はこれまでの人生で苦労を重ね、幸せを求め続けてきた。ただ幸せを感じるという代わりに。もう、こんな探求には疲れたよ。今、幸せになりたい。

こういうケースはよくありますよね。まじめな人ほど陥りやすい罠かもしれません。わたしも、人生の下り坂にきてやっと、今を楽しむことを優先させなくちゃと思うようになりました。対処しなければならない問題はあっても、それに関係なくです。

幸福の追求というのは、中毒みたいなものです。そして、中毒症状がひどければひどいほど、幸せが訪れたときそれを受け取る準備が出来ていません。

We're too buy to happy now. We're too focused on our bright futures to be happy now.
忙し過ぎて今幸福になれない。輝かしい将来に目を向けるあまり、今幸福になれない。ですよね。耳が痛いです。

幸福の追求は幸福の否定です。

幸福がどこか別のとろこにあるという思い込みを変えない限り、いつもそこにたどり着こうとするだけで、なかなかたどり着けません。幸福の追求を止めて、ただ幸福を受け入れ、それを感じるのを自分に許すようにしなければなりません。





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