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2016  08:02:18

壁にぶつかって始めて本当の道を見出す



本書は、著者Karen Henson Jonesが自らの体験を綴ったものです。会社勤めのキャリアウーマンから、心臓疾患によって強いられた不自由な生活と苦悩、そして人生の意義を探し求めてインド、イタリア、 ブータン、イスラエルを巡り、徐々に肉体とスピリチュアルの両面で癒されていく軌跡を著しています。

臨死


Karenは、コーネル大学を卒業し、ロンドン・ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得して、ロンドンでファイナンスの仕事をしていました。親が望む道を進んでいたのです。ただ、自分の中で、これが私の道なのという小さな声がしていたと言います。それが、2006年の春、思わぬ展開でKarenの人生がひっくり返ります。

心臓の鼓動が不規則であると診断され、ICD(心臓ペースメーカーのような機器)を埋め込むことにしました。手術の直前、のぞきこんだトイレの鏡にビジョンを見ます。自分が病院のガウンを着たままホールを走り、病院を出て街中に逃げるという。ビジョンを見ることはこれまでなかったそうです。警告だったんですね。

埋め込みの手術後、機器のワイヤーが心臓に食い込んでいたことから(これも、すぐには原因が分からなかったのですが)臨死の状態になり、さらに2度の手術をすることになります。

臨死で体外離脱をしたとき、何も見なかったし聞こえなかったけれども、エネルギーのフィールド、高度に高い知的存在を感じたそうです。しかも、それは、"completely familiar with"で、"this was something that was always there, had always been with me, but I had never been aware of it before"です。

その存在はいつもそこにいて、常に自分と共にいたけれども、これまでまったく気づかなかったと。

It knew everything about me, and instantly I was no longer frightened or alone.

わたしは臨死体験をしたことがないですが、多分そうなんだろうなと信じられます。一人ぼっちのような気がしても、いつも側で見守ってくれる存在がいるなんて心強いですね。

治療、リハビリ、病気、落ち込みの生活


さて、Karenは瀕死の状態から救われ無事に退院したのですが、両親の家で療養を強いられます。補助なしでは歩くことができず、メモしようにも、手が震えてそれも叶いません。自分一人では何もできず、60歳の両親は、自分の世話をするために大きく生活を変えることを余儀なくされます。

手術の大きな傷跡を見るのが耐えなれなくて、バスタブにつかるときは、電気を消さなければならなかったそうです。精神的にすっかり参ってしまい、始終、泣いて暮らし、両親さえ恨めしく思いました。

精神的な支えが欲しくて、母親に伴われて教会に行ってみたけど、まったくインスパイアされません。でも、はっきりしているのは、前のようなスピリチュアル面をまったく無視した生活にはもう戻れないということ。

I was hungry for a deeper meaning, but I needed something from what the church was offering.

この気持ち、よく分かります。Karenとは状況が違っても、人生がひっくり返るようなことがあると人生の意義を求めたくなります。

Karenは、短期間に合計3度の大手術をして、かなり弱っていました。それに加えてICDがまだ体内にあり、激痛に始終悩まされていたそうです。そのため泣きながら眠りにつき、泣きながら目覚めるという生活です。

次の2年間は、治療とリハビリに明け暮れ、精神的な落ち込みで彩られた生活でした。かなり自分で動けるようになったものの、慢性の痛みに悩まされ、免疫低下で、次から次に病気にかかるという有様。おかげで、24もの専門医にかかっていたそうです。健康的な生活からはほど遠いものでした。 時折、友人が訪問してくれるだけで、ソーシャルライフはありません。

これでは落ち込むのも当然ですね。自分の限界ばかりを思い、将来の不安や自分の不運を考えまいとしても考えてしまう。友人たちが昇進したり婚約したりとそれぞれ人生のマイルストーンを越えていく中、羨むことはなかったけれども、取り残された気持ちがしたと言います。孤独ですよね。

どうしてよいか分からない


エゴが執着しているもの、キャリア、容貌、給料、活動的といったことは見事に消滅していきました。自立も吹き飛んでしまいました。こうなると、否が応でも本当の自分と向き合うことになります。でも、今まで自分だと思っていたものがないわけですから、どうしてよいか分からなくて混乱し恐怖します。

Karenとは程度が違いますが、数年前の自分を思い出してしまいました。自分の中でささやく小さな声を無視し続けていると、後でドカーンと大きな事が起こって方向転換をさせられるというのは、意外と多いのかもしれませんね。

本書に、Wendel Berry(ウェンデル・ベリー)という詩人の引用がありました。

It's only when we don't know what to do or which way to go that we find our way to our true path.

「何をしたらよいのか、どちらへ向かったらよいのか分からなくなって始めて、本当の自分の道を見出す」という意味ですけど、当たっています。でも、この分からないという時間が割と長くて、不安になるのですよ。この不安は耐えるしかないけど、必ず、よくなります。今まで自分だと思っていた外的なものに頼れないので、ここをくぐり抜けられると、かなり強くなります。また、二進も三進も行かなくなったとき、何かしらの救いの手が差し伸べられるようです。

Karenは壁にぶつかっていました。何をしたら、よくなるのか分かりません。その時、ロスにいる妹から薦められて、クンダリーニヨガのクラスを取ることにしました。

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