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2015  08:21:31

宇宙の自動販売機の使用法は自分の真実を生きることにあり

以前に取り上げたエイブラハムの"The Vortex"で本当の自分とアライメントすることが重要だと強調されていましたが、最近、これと同じことが、別の書物やウェビナーや、他のメディアでも主張されているのによく出くわします。こうシンクロしていると、重要なメッセージなんだなと思います。

その中で、「オプラ・マガジン」に出ていたMartha Beckという人の記事が、自動販売機を比喩に使っていておもしろいし、示唆に富んでいると思いました。

誤動作を繰り返す宇宙の自動販売機?


"virtue"と"reward"について。"virtue"は「美徳」で"reward"は「報酬」。別に何かを信仰していなくても、「良いことをすれば(あるいは一生懸命努力すれば)酬われる」と信じているところが誰にもあると思います。でも、この信念を裏切ってくれることが人生には起こるんですよね。不公平だと愚痴ったり、神も仏もあるものかと天にツバを吐きかけたくなることも起こります。

観察すると、理不尽に見えるような事は世の中に多く、しかも何度も繰り替えされて起こったりします。それでも、「良いことをすれば酬われる」という仮定が裏切られたといつもショックを受けるのはどういう訳でしょうか。

まるで、宇宙そのものが誤動作を繰り返す自動販売機のようです。いくらコインを投入しても、出てくるものは望まないものだったり、お金だけ取って何も出てこなかったりという風に。

何年も「宇宙の自動販売機」を蹴飛ばしては、自分はそのために支払ったのにと幸福の鍵を握っていると思われる人たち(両親や恋人や政治家など)を恨みがましく思ったり、でなければ、お金を返してくれという人たちが中にはいます。しかし、いくら「宇宙の自動販売機」を蹴飛ばしたところで動作が正されるものでもなく、結局は、疲れ切って、絶望感が残るだけです。

使用法の誤り


そもそも「良いことをすれば酬われる」という考え方自体に問題があるようです。ただし、みんながこれに固執するのは、一部に真実があるからなんですが。

We've been taught to use the wrong kind of virtue and expect the wrong kind of reward.

一言でいうと、「美徳」と「報酬」の解釈を取り違えているようです。間違った解釈を教え込まれてきたから、仕方がないというところはあるのですが。もうずい分長い間、ドルしか使えない自動販売機にユーロを投入してみたり、新鮮なフルーツしかない自動販売機にチョコレートを期待するというようなことをやってきたというわけです。

まず、"Virtue"の方を考えてみます。これは大抵の場合、社会の規則、家庭で教えられた愛の表現法、自分の属する社会階級のマナーなどに従うことだったりします。他の人が欲することを行うのが道徳にかなっていると信じています。このため、内から催す願いや思いよりも、そちらの方を優先させてしまいます。

次に、"reward"の方ですが、褒められることだったり、お金だったり、社会的地位だったり、尊敬してもらうことだったりと、外に幸福を求めているところに問題があるようです。

たとえこうしたものを手に入れても、幸福感は持続せず、また頼りないものだったりします。一時的に気分が高揚しても、やがて萎えてしまう。努力して何かを達成し、次に気分の高揚が起こり、そして落ち込むというパターンを繰り替えしてしまいます。もうちょっとお金があったら、地位が上がったら、きれいになったらと思い、また努力を始め、パターンを繰り返す。

エネルギーの無駄遣いをしているんですね。もうそろそろ気づいてもいいのに。

正しい投入とは


Marthaは、"virtue"の定義を、「自分が真実だと奥底で感じていることに完全にアライメントする」としたらと提案しています。内なる真実に完全に一致することができれば、内から喜びが湧き起こり満たされます。

彼女も自分の体験から、この選択は必ずしも平坦な道でないことを認めています。自分の真実と一致しないことを手放すのですから、失う悲しみを味わい、周囲の反発で孤独感を感じたりすることもあります。それでも、その悲しみや失望の中から、しだいに心の平安を感じるようになったのに驚いたと言います。

ということで、宇宙の自動販売機は、アライメントを投入すると、喜びが出てくるということなんですね。

"Integrity Cleanse"を提唱していました。

Living in integrity means expressing and doing what is true for you in all situations.

"integrity"の訳は難しいですが、わたしは一貫性と捉えています。この文の意味は、"integrity"に生きるとは、どんな状態のときでも、自分にとって真実であることを表現し、それを実行するですね。

家族、親族、友人、仲間、先生、牧師、上司、社会、マスコミなど、わたしたちは、さまざまな影響を受けて、自分の真実を見失っていることがあるんだなと改めて思いました。

最近、特に思うのですが、真実はたった一つではないのかもということです。おのおのの意識レベルで、真実が変わってくると思うのです。だから、今、心から共鳴するものが真実で、それは人それぞれでいいのだと思います。そういう意味では、宗教はもう時代遅れではないかと思います。こうしなさい、これが真実ですよ、なんて、人々の意識が目覚めてきている今、それを押し付けることは困難になってくると思います。

外界のものを追い求めても、この世界はすべて移り変わるので、当てにならないし虚しい、ではどうすればよいのだろうと思っていました。自分の真実とアライメントすることだと聞いて、そうかとすんなり受け入れられたので、これはわたしにとっても真実なのだと思います。自分の真実とアライメントすることは、また、自分を尊重し、愛することなのだと思いました。

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