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2015  07:05:54

エゴとマインドのプログラムを観察すると手放しやすい

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デヴィッド・ホーキンズ博士の著に戻ってきました。エゴマインドから成り立つ小さなセルフの正体が明かされた後で、今度は、この小さなセルフをどう乗り越えるかという話です。

その道は幾つかあって、どの道を行ってもいいのですが、小さなセルフを乗り越えた後には、真実が自ずと現れるようです。それぞれの道を説明してくれています。

まず、「知識を通して真実を追求する道」は、エゴとマインドの性質とそのプログラムを観察し、それが偽であると悟って手放す道です。

マインドとエゴを客観的に観察する


マインドを研究するプロセスを始めると、自然にエゴの縛りが弱くなってきます。焦点が移って、内なる自分が目覚めてくるから。

エゴは、激しく非難したり、憎んだり、罪の意識によって克服することはできません。ただ、その真の姿を客観的に観察すればバッテリー切れして、その力は弱くなります。

エゴは、主観的な経験をすべてに"I thought"とその著作権を主張します。瞬時に"I thought"と差し挟むので、メディテーションをして思考の源泉を余程注意深く観察するのでなければ、これを捉えるのは困難です。

マインドは、過去の記憶やファンタジー、恐れなどからこれはどう、あれはどうみたいにさまざまな選択肢を披露しますが、そのからくりを理解すれば、マインドによってコントロールされなくなります。

マインドが実際に扱うのは、前提、見かけ、こうだと解釈したイベント、証明できない結果、現実だと錯覚した精神活動だということが分かってきます。マインドによって組み立てられた現実は、実際には存在しません。

注意深く観察すれば、すべての意見は価値がないことが分かります。どれも、空しく、何の重要性も持たず、本質的なメリットがありません。誰のマインドも、数限りない意見で詰まっていますが、単なる精神活動に過ぎません。

思考が個人のもので、セルフ自身から発している、属しているという幻想を取り払うことが必要です。肉体と同じように、マインドもマインドが作り出す内容も、本当はこの世界の産物に過ぎません(自分のものではないということですよね)。

よく訓練されたマインドは、仕事をするように命じられたときだけしゃべります。訓練されていないマインドは、野放図に舞台に上がるパフォーマーのようで妨害者です。マインドを観察すれば、常に注意を引こうとする手に負えないうるさい子供と同じだと分かります。

小さなセルフは本当の自分ではない


エゴを滅ぼす必要はありません。必要なのは、ただ、エゴと「本当の自分」を同一視するのを止めるだけです。

肉体/感情/マインドが自分だと思うのを止めましょう。それは、あなたのものですが、あなた自身ではありません。

エゴにはただ一つの中毒しかありません。主観的な喜びと報いを得ることで、これを外に追い求めます。だから、本当の幸福の源泉が内にあることに気づけば、エゴの欠乏感や願いは消滅します。

マインドが自分だと考えるところから、わたしたちには、思考や思い込み、感情、意見を持つマインドがあることに気づいてきます。そして、最後には、わたしたちの思考は大きな意識のデーターベースからの借りもので、わたしたち自身のものではないという結論に達します。流行りの思考は移り変わりますが、そのような過ぎ去っていく考えに価値を置かなくなると、その支配から超越できます。

内観によって、変化するものと不変のものがあるのに気づきます。変化するものは、幻想に過ぎません。

思考の前提をすべて手放してもよいというくらいの謙虚さで、自分の意見が正しいと固執するのを止めます。忍耐強くこれを行っていくうち、真実の仮面をかぶった虚が消滅し、エラーの基が見えてきます。最後には、本当のところマインドは「何も知らない」ということに気づきます。

マインドが沈黙すれば


どうしたらマインドを沈黙させることができるかという質問について。それはできないが、マインドのエネルギー源を取り除けば、自然に静かになる。ただ、「わたしの」考えというのを止めること。思考は、特定の意識レベルと個性の自動的な結果にすぎない。自己陶酔的なエネルギーを与えられなければ、マインドは自然に沈黙する。

マインドがなくなったら、何が取って変わるのかという質問について。天智が開けてくる。マインドがなくなれば無になるどころか、"Allness(普遍性)"に取って代えられる。

あらゆる思考は、スピリチュアルの観点からいえば、空しい幻想で尊大さを現しているに過ぎない。考えることは、最終的に"knowingness(智慧)"に取って代えられる。



思考はどれも本当の価値がないというのは、驚くとともに新鮮でした。まだでも、自分の中では消化されていないというか、反発してるかも。ただ、思考を個人的に捉えないのはよいと思いました。意識の巨大なデーターベースから来ているんですよね。しかも、自分がいるレベルの意識にあるデーターベースです。だから、よい思考をと思えば。意識レベルを上げるという話にも通じるのでしょう。

最近、気づいたことですが、何か決断に困ったとき、ロジカル思考で解決しないで、一旦、考えるのを止めてほっておくと、何となく解決法が見えてくることがあります。理論的にこうだからというのではなくて、内から見えてくるという"knowingness"です。

最後は大きくはしょりましたが、ホーキンズ博士によると、思考は、コンピュータの処理のように、自動的になされるという。それに、自分がしたという意識を加えるから、話がややこしくなるし、思考に対する執着が起こってくるのかなという感じです。

あと4つほどセルフを乗り越える道が説明されていました。それは、簡単に次の機会にまとめてみます。



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