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2015  09:11:33

デヴィッド・ホーキンズ博士が明かすエゴの正体

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デヴィッド・ホーキンズ博士の著です。残念ながら、今のところ訳書はないですね。

ホーキンズ博士がエゴについて書かれたことを引用したものをまとめたものです。テーマは、小さなセルフ(the self)を乗り越えて、大きなセルフ(the Self)を自覚すること、意識レベルを上げることです。小さなセルフはエゴとマインドで、大きなセルフはハイヤーセルフです。

本書は、(1)小さなセルフについて、(2)小さなセルフを乗り越えること、(3)大きなセルフを自覚することの3つの部分から成っています。小さなセルフが本当の自分だと思っていることが問題なんですが、それに気づくには、まず、小さなセルフの正体を知る必要があります。

ホーキンズ博士によると、小さなセルフはエゴとマインドから構成されているそうです。まずエゴについての引用を拾って、3つに分類してみました。

エゴの世界


エゴの世界というのは、"a house of mirrors"のようなものです。アミューズメントパークなどで見かける、さまざまな鏡が沢山あって迷路のようになっている家です。中にはかなり歪んで見える鏡もあります。その中で、鏡に写るイメージを追いかけて迷子になり、出口を見つけることができません。言えていますね。

エゴの世界は幻想で、メンタル処理による勝手な見方が感情によってパワーアップされます。こうした感情は仏教の言うところの執着で、苦しみの元です。

エゴは密かに犠牲者の立場を愛し固執して、苦痛や悩みから歪んだ喜びを味わいつつ、重苦しく正当化します。

エゴは、悪がどこか「外」に存在すると思うのを好み、不運な何も知らないセルフにそれを信じ込ませます。エゴは、何らかの感覚、興奮、他(セルフ)を支配しているという優越感や喜びを望んでいるからです。

エゴもマインドも、現実ではなくて、自分勝手に捉えた世界に住んでいます。

エゴは、人生を内からみた映画の主人公です。自分を神あるいはそれに匹敵する権威者に見立てて、自分の優位を示そうとします。

エゴは、どこか「外」に責任転嫁して非難します。エゴが使う方法の一つは、苦痛のデータを自分のものと認めず、他や外の世界に投影することです。エゴ自身は救いを求めません。

エゴにとって「欲しい」というのは「必要、なくてはならないもの」なので、それを手に入れようと必死になり、どんな犠牲もいといません。たとえ何百万人もの命を奪うことであっても。また、その行為を正当化する理由をいくつも考え出します。他を非難し悪者扱いにして。

エゴは虚の世界に頼っているため、その生存は、真実をいかに打ち消すかということにかかっています。エゴの幻想的な性質に気づくまで、エゴは優勢です。

エゴの正体


エゴは、一つの定着した思考習慣の寄せ集めだと考えることができます。繰り返しや社会の合意で強化され、さらに言葉の力で確定されます。この言葉は"I"を指しています。"I"を主語に置くことで、自動的に主語と目的語を分ける過ちを犯しています。(そうすると、日本語は主語を省く習慣があるので、言語としては優れていますね)

エゴは思考と行動の裏で働く架空の実行者で、その存在は、生存に必要で欠かせないと強く信じられています。

エゴは人間なら誰もが受け継ぐもので、実際のところ、個性はありません。問題は、エゴを自分だと思い、パーソナルにすることです。エゴの構造は非個性的で、誰のエゴも似たりよったりです。ただ、エゴというプログラムにどれだけ言いなりにされているかという程度の違いだけです。

エゴ自身にパワーはなく、エゴのプログラムを拒む力は、スピリチュアル的な進歩に従って飛躍的に増大します。多数の人が真実だと思っていることは、現実には意見に過ぎません。

エゴは悪ではなく、自己本位の動物に過ぎません。その「動物的なセルフ」を理解し、受け入れなければ、その影響を縮小することはできません。

エゴは一連のプログラムで、重層的な複雑なアルゴリズムで走っています。思考はそのプログラムの(過去の経験や教育、社会的影響によって加重された)デシジョンツリーに従って為されます。

エゴは、苦痛やプライド、怒り、望み、罪悪感、恥、悲しみから、歪んだ喜びを得、またそれなくしては生きていられません(addictive)。自己憐憫、怒り、憎しみ、プライド、罪悪感、恐れなどの報酬から満足を得ます。この影響は、こうした問題となる密かな喜びを神にすべて預けるだけで取り消すことができます。

エゴの解消


エゴは、攻撃して打ち倒さなければならない敵でもなければ、克服すべき悪でもありません。思いやりをもって理解することで解消することができます。

エゴは解消されて無になるのではと恐れるため、分離した存在、時間といった幻想を手放すことを拒みます。エゴは極めて粘り強く、極限まで行かないと自分の位置を手放しません。これに対応できるのは、スピリチュアルの力だけです。

面白いことに、受け入れて、思いやりをもって理解すると、エゴの支配力が弱くなります。その反対に、自己批判や非難、恐怖、恥辱感はエゴの支配力を強化します。

人間の心はコンピュータのハードウェアのようなもので、どんなソフトウェアも受け付けます。だから、エゴというソフトが走っていることに罪悪感を持ったり、恥ずかしく思ったり、自己嫌悪に陥らずに、その進化の過程でダウンロードされた価値を認め、何がよいかを知らないペットとして受け入れる方がもっと有効です。

逆説的ですが、エゴが、自己本位の目的を手放した方がかえって自分の利になることを理解し始めると、スピリチュアル探求の跳躍台になり、自らを超越する手段になります。

++++++
かなりはしょりました。ホーキンズ博士の書は難しいです。大雑把でも、博士の言わんとすることが分かりました。エゴが単なるプログラムだということ、非個性的だというのが新鮮です。エゴが生存に必要でないと示唆されているのは驚きでした。確かに、エゴを優しく受け止めると、その力が弱くなるのが分かります。

エゴと自分を同一視しないで切り離すことが大切です。

3次元の世界は、人間のエゴが繰り広げるシェイクスピアのドラマみたいなものなんですね。これは、Jim Selfがよく言っています。意識レベルが上がると、あれは、エゴのプログラムが走っているんだなと客観することができそうです。そうすると、個人的に取らないで、恨みや怒りも起こらなくなりそうな気がします。



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