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2014  05:49:25

アメリカの生活ー初期のころの懐かしい思い出

何だかきょうはやたらに昔のことが思い出されて、いい機会だからブログに書き留めて置きます。

最初にアメリカに来たのは高校を卒業してからです。英語は公立高校の英語レベルで、まったくしゃべれませんでした。

ロサンジェルスで乗り換えたんですよね。飛行機に乗ったのも初めてでドキドキでした。乗り換えのことを聞くのに、一生懸命頭で英作文をして聞いたのを覚えています。わたしがキョトンとしていると、ゆっくりジェスチャー入りで説明してくれましたが、どうもこのビルを出て、道を横断して向かいのビルに行き、一番端まで歩けと言われたのは何とか分かりました。

スーツケースを引きずって、かなりの距離を歩く。アメリカって何てバカでかいところだろうと感心したり、憎々しく思ったり。

あのころはTWAが飛んでいたんです。国内線はそれにのって東海岸に。空席だらけでしたよ。向こうの席に黒人の一カップルが座っているだけ。わたしの方を見てにこやかに笑いかけてくれ、すごく安心したのを覚えています。スチュワーデスが食事のメニューを説明してどちらにすると聞いてくるけど、説明が分からないのでキョトンとしていると、"Chicken or Beef?"って、分かりやすく聞いてくれました。スチュワーデスも優しい。

空港に着くと、迎えにきてくれているはずの叔父がいません。独立記念日の日だったので交通渋滞に巻き込まれたんですね。そんなこと知りませんから、どうしようかと思い、とにかく電話をかけなくっちゃと公衆電話のところに行くけど、コインも持ってなければ、かけかたも分からない。すると、黒人のポーターがコインをくれて電話のかけ方を教えてくれました。

ということでアメリカ第一日目は、アメリカ人って愛想がよくって親切って感動しました。

その後、夏休みに一度日本に帰って再度アメリカに戻るときも、とっても親切な素敵な人にお世話になりました。というのは、ロスからDCまでの便に不都合があって、テキサスのダラス(Dallas)空港で乗り換えるように言われたんですが、わたしはDCのダレス(Dulles)空港に行けばいいので、なぜ乗り換えるのと混乱状態。発音が同じに聞こえるし、テキサスのダラス空港なんて知りませんでしたから。

それを聞いていた背の高い素敵なおじ様風の男性が、わたしの肩をたたいて親切に説明してくれました。ただ、DCで友人が迎えに来てくれることになっているので、到着する便が違うし、到着する空港も時間も変更になったことを告げなければいけないと思ってあせっていたら、その男性が公衆電話のところまでエスコートして、しかも小銭を用意してくれたんですよ。

さらに、まだ頭に血がのぼっている私を落ち着かせるように、お茶までご馳走していただいて。なのにわたしったら、名前も聞かず、お礼もできずじまいです。

多分あの当時のアメリカは古きよきアメリカみたいなところがあったかも。

その後、一軒家をアメリカ人ハウスメイトとシェアをしたこともありました。新聞のClassfied Adsに出ていたのに電話をかけて見に行ったんですけど、あとで聞いたらわたしが30何人目かの最後で、案内してくれたトムに気に入られて決めてくれたようでラッキーだったです。

ハウスメイトはトムの他に、キャッシーとベッキーです。みんな社会人で、いい人たちでした。わたしもその時は仕事をしていました。

キャッシーは目がとっても綺麗な人で、振る舞いも性格も男の子みたいでtomboy。リチャードというオレンジのトラ猫とケビンというタキシード柄の猫を飼っていました。この猫たちを外に放しているので、夜にドアを開けて大きな声で「リチャード、ケビン」って呼ぶのが可笑しい。

彼女は最初はちょっとおっかなかったけど、しゃべってみるとなかなかよい人で、一度など、わたしの車のバッテリーが上がってエンジンがかからなかったとき、お父さんに電話をしてチャージャーを持ってきてもらい、チャージしてもらいました。お父さんもなんか愉快な人でしたね。

ベッキーはベジタリアンでやせていて、キャッシーに比べるとずっと女性らしいんですが、車のエンジンオイルを自分で替えてしまうわりとたくましい女性です。確か、彼女にはユダヤ系のボーイフレンドがいたな。

トムはいつも家でビールを片手にテレビでフットボールのゲームを見ていました。週に一度はバレーボールをしにいっていたかな。彼はフランスに留学したことがあり、家にはワインを常備しており、わたしが料理したときに食べる?と聞くと食べるといってワインを出してくれましたよ。

最初、車がなかったので、バスで通勤していたわたし、定時に家に帰っていたんですが、ある日、お誘いがあって夜11時ころ帰ったとき、みんなもう就寝している時間(朝早いから寝るのが早い)なので、音を立てないように忍び足で入っていくと、basementに住んでいるトムが階段を上がってきて、"You made me worry"って言ったんです。嬉しかったです。

車を買ったとき、路上運転の練習にも、自ら助手席に乗って練習に付き合ってくれました。また、車のタイミングチェーンが切れて路上で止まったとき、帰宅時間なのでクラクションをさんざん鳴らされましたが、それを見ていたある男性がわざわざ自分の車をユータンして戻ってきて、私の車を邪魔にならないところまで押してくれ、家まで送ってくれたんです。親切でしょう? そのとき、トムが一緒に車を見に行ってくれて、やっぱりダメだということでレッカー車を呼びました。

本当にラッキーだったんですよ、いいハウスメイトに恵まれて。お互いに干渉せず、でも仲良くしていました。2回ほど家でパーティをやったかな。あとは、それぞれの誕生日に、本人の希望することをみんなで一緒にやったりしました。レバノン料理を食べにいったり、バレエを観に行ったり(わたしの希望です)、コンサートに行ったり、フェアーにみんなで行ったり楽しかったです。

あの人たち、今ころどうしているのだろうと懐かしく思い出しました。ちゃんと連絡を取るようにしておけばよかったと悔やまれます。

大学時代は、台湾の人たちと仲良くなって、よく中国の映画に連れて行ってもらいました。あるとき、日中戦争の映画で日本人が悪者に描かれていたことがって、みんな罰が悪そうにしてましたけど。それで、台湾の人たちは、香港映画のエッチな場面では目を隠します。純情でしょう? そういうエッチな場面は本国の映画にはないそうなんですね。今はどうか知りませんが。

家に遊びに来てくれたジェーンというアメリカ人の女の子が目がウルウルしているので、どうしたのと聞くとマリファナを吸っていたからというのですごーく興味をもって、あとで機会があったとき吸ってみたことがあります。吸い方が悪かったのか、わたしにはあまり効き目がない。残念でした。

一人だけ、Facebookで再会した友人がいます。彼女はタイピングのクラスで隣にいました。あの頃、車を持っていなかったのでよく乗せてもらいました。家にも何度か招いてもらって。もう20年くらい会っていないかもしれないので、今度東に遊びに行ったとき、連絡しようと思います。

他にもいろいろ思い出されましたが、長くなるのでこの辺しておきます。

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2 Comments

ぴーちくばー1223  

Re: お邪魔します!

そうですね、今は少し変わってきたかもしれませんが、
一昔前は本当にみんな親切だったなと思います。

若かったし、なつかしいです。
アルバイトで、10才と7才のアメリカ人の姉妹を
ベビーシッターしたこともあります。

わたしが"L"の発音がうまくできないのをおもしろがって、
もう一度"a little bit"と言ってみてなんてね。

Yokoさんはホームステイしてたのですね。
それはまた家族の一員になったみたいで楽しかったでしょうね。

知らない人でもすれ違ったら挨拶するのも、いいですよね。
でも、アメリカ人はアメリカ人で、
日本に行くと日本が好きになって帰ってくるみたいですよ。

2014/11/20 (Thu) 14:23 | EDIT | REPLY |   

yoko  

お邪魔します!

記事を読んでいて
私も昔が懐かしくなってきました。
そうそう、アメリカに行って最初に感じたのは
日本と違って
知らない人がとても親切にしてくれるなと。
フレンドリーだし。

日本に、特に東京に住んでいると
考えられないようなことばかりでした!

私はお金を払ってホームステイしてたのですが
(しかもいろいろ転々としました;汗)
知人の日本人は
お金を払わずボランティアの家で
ホームステイさせてもらってました。
その家の家族のほうが
とても親切だったことを覚えています(笑)
私も一緒に食事やショッピングに
つれていってもらいました。

2014/11/19 (Wed) 21:01 | EDIT | REPLY |   

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